あみもの第三十一号のかんそう 2

こんにちは。田中はるです。

あみもの第三十一号のかんそう 1 - 世界のジャンクフード博覧会

の続きです。

 

なんか石に名前とか彫ってみようかなこのあと全部沈むとはいえ/夜夜中さりとて

一番意味ない。たとえば地球最後の日に何するか、みたいな話のときって普段は許されないめちゃくちゃなことをするか一番好きなことするかのどっちかになることが多いと思うんですけど「石に名前彫る」はどちらでもなさそうだし一番意味ない。でも楽しくなれそう。他人の頭の中にそういう意味なくてちょっと面白そうな思いつきがあるのが好きなので、「このあと全部沈む」のにこのテンションでいられるの(連作を通すとなにか諦めみたいなのもあるのかなと思うけど)、いいなあと思いました。

 

ホームから君に手を振るガラス戸に利き手と逆の僕が手を振る/モカブレンド

電車に乗った人にさようならしてるときにガラス戸の中の自分が気になってるのいいな。この「僕」自身はもしかしたらお別れのときに「利き手と逆の僕が手を振ってる」ことに気づいて、それに何かぼんやりとうまくいかなさみたいなのを暗喩として感じたのかもしれないけど、それよりまずお別れの最中に別のことを発見してるのが面白くて好きでした。

 

あんなにも沢山の鳩に囲まれて鳩、鳩、おじさん、鳩、光、鳩鳩/朝田おきる

鳩が多い。結句、「鳩、光、鳩」で七音なのにもう一個鳩いて余計だ、余計に鳩いるじゃん。「沢山」を、定型を使ってこんな風に表現できるの知らなかったです。単語数が絞られていてかっこいい。少し異様な光景だったんだろうなあという感じがしました。登場するのがほとんど鳩とおじさんだけのうち「光」がひとつだけ差していることでどこか神々しさみたいなのもあって、広場か何かの中でそこだけ不思議な空間が生まれているのが想像できて面白かったです。

 

終わりになりそうです。書き慣れておらずこの度は変なことを言ってしまったかもしれません。がんばります。ありがとうございました。